普通では、チラシ1000枚で1件の反応があると言われています。
でも、このヨガの世界に社会の常識は通用しないのです。
風の時代に入りスピリチュアルな世界のものが今まで以上に流行るでしょう。
そういったエネルギーの世界(団体)に関わるということは、
彼らが作った、客観的共同幻想の世界の中で生きるのだということを、
どうぞ忘れないで欲しいのです。
指導者を続けるということは、このヨガが創り出した客観的共同幻想の世界を生き続けるというのと同じことです。
そこには、この世界だけに通用するルールがあるのです。
そのルールからはずれると、どれだけチラシを配っても1本の電話も鳴りません。
そうすると、チラシを配った指導者は観念が強いと一方的に決めつけられ、
2~3時間もの間、院長に原理で整理されるという地獄の時間が待っているのでした。
私は気功と心理学のところでこう書いています。
『 ゆるみ 』 と 『 ゆるみ 』 の間には、『 調和 』 が生まれ、
『 緊張 』 と 『 緊張 』 の間からは、 『 対立 』 しか生まれない。
院長が、「あいつは観念が強いから原理で整理しなきゃいけない!」と思ったら、
そのエネルギーを私の体は無意識に感じ取り、防衛します。
その気持ちが強くなればなるほど、私の体はもっと強固に防衛するようになります。
それは、私たちの体には自然知、生命知が宿っていて、
自分にとって危険なものを感じたら体は自然に防衛するようになっています。
逆に、自分にとって心地良いものに出会ったら、体はゆるむようになっているのです。
ですから、防衛している私に何時間も原理を入れようと躍起になったところで、
私の脳には一言も何も入ってはこなかったのでした。
それまでにもわかっていましたが、ここのヨガの先生たちは、
心理学の素養というのは全く持っておられません。
持っておられたら、このようなことはしないからです。
アインシュタインの名言に、
「問題は発生したのと同じ次元では解決できない」
というものがあります。
彼らのやり方では、次元は変わらないのです。
私と同じように、そのスタジオの院長に原理で整理されていた指導者先生がいました。
気の毒に、指導者全員が集まっている時に、いつも皆の前でそれをされていたのです。
とにかくその先生がいるところに、飴ちゃんのようにピタっとくっついて、
本人は原理で整理しなきゃ! とか、原理を入れなきゃ! と思ってしゃべっているのですが、
横でそれを聞いていた私には、ただ重箱の隅を楊枝でほじくるような小言にしか聞こえなかったのでした。
何年もの間、そのような小言を聞かされてた先生はどうなったと思いますか?
耳が聴こえなくなったのでした。
その先生の心と体が「聴きたくない」から、聴こえなくなったのでした。
どこのスタジオの院長も、自分のところのスタッフ先生のことを「観念が強い!」と悪く言っていました。
しかし、相手の観念に引っかかるということは、自分も同じだけ強い観念を持っているからだということに、全く気づくことがなかったのです。
観念の強いスタッフは、あなたの観念を映す鏡になっていることがわからないようでした。
彼ら院長たちは、自分のスタジオの会員さんにはこう言います。
「人を変えることはできません。変えられるのは自分の意識だけです」と。
しかし、彼らがしていることは、原理で相手を変えようとしていることと同じなのです。
言っていることと、やっていることが違う。
言動不一致に気づかない。
多分、今も同じことを繰り返しているのではないでしょうか・・・。
でも、このヨガの世界に社会の常識は通用しないのです。
風の時代に入りスピリチュアルな世界のものが今まで以上に流行るでしょう。
そういったエネルギーの世界(団体)に関わるということは、
彼らが作った、客観的共同幻想の世界の中で生きるのだということを、
どうぞ忘れないで欲しいのです。
指導者を続けるということは、このヨガが創り出した客観的共同幻想の世界を生き続けるというのと同じことです。
そこには、この世界だけに通用するルールがあるのです。
そのルールからはずれると、どれだけチラシを配っても1本の電話も鳴りません。
そうすると、チラシを配った指導者は観念が強いと一方的に決めつけられ、
2~3時間もの間、院長に原理で整理されるという地獄の時間が待っているのでした。
私は気功と心理学のところでこう書いています。
『 ゆるみ 』 と 『 ゆるみ 』 の間には、『 調和 』 が生まれ、
『 緊張 』 と 『 緊張 』 の間からは、 『 対立 』 しか生まれない。
院長が、「あいつは観念が強いから原理で整理しなきゃいけない!」と思ったら、
そのエネルギーを私の体は無意識に感じ取り、防衛します。
その気持ちが強くなればなるほど、私の体はもっと強固に防衛するようになります。
それは、私たちの体には自然知、生命知が宿っていて、
自分にとって危険なものを感じたら体は自然に防衛するようになっています。
逆に、自分にとって心地良いものに出会ったら、体はゆるむようになっているのです。
ですから、防衛している私に何時間も原理を入れようと躍起になったところで、
私の脳には一言も何も入ってはこなかったのでした。
それまでにもわかっていましたが、ここのヨガの先生たちは、
心理学の素養というのは全く持っておられません。
持っておられたら、このようなことはしないからです。
アインシュタインの名言に、
「問題は発生したのと同じ次元では解決できない」
というものがあります。
彼らのやり方では、次元は変わらないのです。
私と同じように、そのスタジオの院長に原理で整理されていた指導者先生がいました。
気の毒に、指導者全員が集まっている時に、いつも皆の前でそれをされていたのです。
とにかくその先生がいるところに、飴ちゃんのようにピタっとくっついて、
本人は原理で整理しなきゃ! とか、原理を入れなきゃ! と思ってしゃべっているのですが、
横でそれを聞いていた私には、ただ重箱の隅を楊枝でほじくるような小言にしか聞こえなかったのでした。
何年もの間、そのような小言を聞かされてた先生はどうなったと思いますか?
耳が聴こえなくなったのでした。
その先生の心と体が「聴きたくない」から、聴こえなくなったのでした。
どこのスタジオの院長も、自分のところのスタッフ先生のことを「観念が強い!」と悪く言っていました。
しかし、相手の観念に引っかかるということは、自分も同じだけ強い観念を持っているからだということに、全く気づくことがなかったのです。
観念の強いスタッフは、あなたの観念を映す鏡になっていることがわからないようでした。
彼ら院長たちは、自分のスタジオの会員さんにはこう言います。
「人を変えることはできません。変えられるのは自分の意識だけです」と。
しかし、彼らがしていることは、原理で相手を変えようとしていることと同じなのです。
言っていることと、やっていることが違う。
言動不一致に気づかない。
多分、今も同じことを繰り返しているのではないでしょうか・・・。
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最終更新日 : 2023-03-19