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    『 風の時代を生きる 』

    ~ 気功の偏差について、イルチブレインヨガの体験記、その後 ~

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    2023-03-19 (Sun) 03:05

    地獄の日々始まり①

    新しい地域長を紹介された日、各指導者の睡眠時間を聞かれました。
    私が戻ることになったスタジオの院長の睡眠時間を聞いて目が丸くなりました。
    私自身の睡眠時間はたったの3時間もないのに、院長先生ともなると6時間も眠れるんだ・・・。

    そして会員時代を過ごしたスタジオ(独立加盟店)に戻ることになった私に、
    院長からメールが届きました。
    そこには、「会員の時のようには、いかへんからな!」と脅しの言葉が書かれていました。

    *****************************************************

    新年1月1日元旦
    私はあの時、お節はどうしたのだろう?
    朝は雑煮を作って、家族と一緒に新年を祝うことが出来たのだろうか?

    覚えているのは、元旦の午後から院長とチラシ配りをしたことです。
    2人で1000枚。

    新しい地域長になってから、1年365日休みなしになりました。

    家族がいても、家族との時間を持つことはできませんでした。
    新入会員が入らなければ、寅の刻修練といって、
    午前4時30分からスタジオで修練がありました。
    それまでには洗濯を済ませておかないといけないので、午前3時に洗濯機を回し(家族にはいい迷惑だったと思います)、起こさないように洗濯ものを干し、家を出ました。
    当時、姑さんはまだまだ元気だったので、自分と自分の息子(私にとっては主人になります)のご飯は作ってくれていました。
    しかし、家族関係はどんどん悪化していきました。

    寅の刻修練がない時は、早朝ポスティングといって朝6時からチラシ配りをしました。
    7時過ぎにはスタジオに戻り、修練場、玄関、トイレ、ビルの階段!?の掃除をしました。
    (ヒーリングルームは院長の寝室になっていました)
    それから朝食のトーストにする食パンをフライパンで焼きました。
    パンが焼ける頃に院長が起きてきました。
    びっくりでしょう?

    朝食が終わると、院長が『心告(シムゴ→私たちはシンゴンと言っていました)の準備をして』と言われました。
    私は「???」となりました。
    何故なら、直営スタジオで心告をしたことがなかったからです。
    直営スタジオの院長は、お昼近くまで寝ていたから^^
    だから何を準備するのかわからないまま、とりあえず修練場にヨガマットを縦に2枚置きました。
    私にはそれしかできませんでした。
    実際は、ススンニムの写真と予約帳、線香などを準備する必要がありました。
    (おさらい、ここのヨガの3宝は、①ススンニム ②法と原理 ③ビジョンです)

    心告は、今日のスタジオのビジョンが達成されるようにと行う、指導者の修練です。

    心告が終わるまでスタジオのドアには鍵をかけていました。
    なので10時前にスタジオに会員さんが来られるとドアにカギがかかっているのでした^^;
    朝の修練は院長がされました。
    その間、私はチラシ配りだったり、隣の駅でチラシを手配りしていました。
    朝の修練が終わる前に戻ってきて、修練が終わった会員さんの分かち合いに一緒に参加しました。
    その後、会員さんを見送ってからお昼ご飯の準備。
    食事の後、院長はお昼寝されていましたが、私はすぐ近くのJR駅でチラシを配っていました。

    午後は私が修練していました。
    その後、夕食の準備をして、午後6時からチラシ配りに出ました。
    途中、お腹がすくのでコンビニでパンを1つ買って、食べながらポスティングしていました。
    昔の私だったらそんな行儀の悪いことは出来なかったです。
    このヨガは、そこまで人を変えました。

    直営時代、研修が終わってからは家に帰れた時間は毎回日付が変わっていました。
    独立スタジオに変わってからは、午後10時を超えていました。
    それだけ大量のチラシを毎日配らされていました。

    それでもチラシから体験予約の電話1本、問い合わせの電話1本鳴らなかったら?
    そう・・・地獄の時間が待っているのです。



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    最終更新日 : 2023-03-19