2010年7月・・・韓国指導者教育の後、4月からお手伝いに入っていた直営スタジオで500時間の研修に入りました。
スタジオの1日は掃除から始まります。
自宅からスタジオまで1時間弱かかりました。
朝8時にはスタジオに着いて、まず修練場から、そして廊下、応接室、キッチン、トイレ。
掃除機と雑巾がけをしました。
当時、この地域の地域長と、直営スタジオの院長は韓国人でした。
韓国の院長は自分の部屋で寝ていたようです(朝の挨拶に出て来られることはありませんでした)。
朝10時過ぎから会員さんが来られました。
その多くはゴールド会員さんでした。
朝の修練が終わって、会員さんを見送った後は昼食作りです。
昼食の用意ができたら、院長の部屋のドアをノックして声をかけました。
が・・・、ノックをすると怒られました。
どうも音に敏感になっているようでした。
(このヨガは脳の感覚を高める効果があるものの、それが行き過ぎると過剰反応という現象が起こります)
用意した食事の内容が気に入らなければ食べられませんし、
自分の好物や気に入ったものは食べられました。
とても極端な方でした。
ただ時々、「美味しい」と、とても褒めて貰ったことがきっかけで、冷蔵庫のあまりもので料理を作るのが得意(好き)になりました。
昼食が終わると、また自室に引きこもられました。
私は食事の後片付けをしたら、体力管理をして昼の修練に備えました。
そのような感じで時間が過ぎ、チラシ配りをする時間がなかなかありませんでした。
研修期間中ということもあって、夕方5時には帰らせてもらうことができました。
私は家族がいましたから家から通っていましたが、独身の先生はスタジオで院長と一緒に生活をします。
新入先生がスタジオに入ることを、生活修練と言います。
その反対に、仕事をしながら指導者の活動する人は社会人指導者と言われ、格下に置かれました。
このヨガには序列があるのです。
地域長先生→院長→副院長→オーナー→スタッフ先生→社会人指導者という風に。
私は、仕事を辞めてスタジオ指導者になりました。
当然のことならがら研修期間中は収入はありませんし、交通費も実費でした。
スタジオの院長はスタジオで生活をされていた為、昼食や夕食を作らなくてはいけませんでした(自分もスタッフ先生も食べないといけないので)。
他の直営スタジオでは、院長、副院長、スタッフ先生その他お手伝いの会員さんが、
お金を出し合って賄っていました。
それを言うと、院長から、「私からお金を取るんですか!!!」と怒鳴られました。
また、院長が風邪を引いた時、薬を買ってきて欲しいと頼まれましたが、それも実費でした。
自分の生活もままならないのに、スタジオの院長の食費やもろもろの面倒まで見なければいけませんでした。
後々、このスタジオで同じ院長についたスタッフ先生もまた、私と同じ憂き目に遭っていました。
(この院長は、今は母国に戻られていて日本にはいらっしゃいません)
これが借金地獄の始まりでした。
当時は誰にも相談することができませんでした。
相談するべき人、場所がなかったのです。
それから数年以上たって、ようやく本社に指導者の相談窓口が開設されましたが、遅すぎました。
私は、いつも感じていました。
ここの団体は、計画性がなくいつも行き当たりばったりで、本当に大事なことに気づけずにいると。
研修が始まって、1つ驚いたことがありました。
それは、今まで普通に社会生活で出来ていたことが、出来なくなっていたということです。
何が出来なくなったかというと、電話を取ることが出来なくなっていました。
何をしゃべっていいのかわからなくなっていました。
激しい緊張と恐怖を感じていました。
あと、直営スタジオは本社から広告費の支給があるため、チラシはたくさんありました。。
階段ホールは倉庫のようになっていて、配り切れなかったチラシが山積みになっていました。
夏だというのに、季節はずれの2月のチラシを配らされました。
新しいチラシがそこにあるというのに・・・。
そして、こちらの院長はチラシを配るということはされませんでした。
当時は、新しく指導者になった人、または副院長が新入担当となって、新入会員を入れる活動の全てをしなくてはいけない時代でした。
スタジオの1日は掃除から始まります。
自宅からスタジオまで1時間弱かかりました。
朝8時にはスタジオに着いて、まず修練場から、そして廊下、応接室、キッチン、トイレ。
掃除機と雑巾がけをしました。
当時、この地域の地域長と、直営スタジオの院長は韓国人でした。
韓国の院長は自分の部屋で寝ていたようです(朝の挨拶に出て来られることはありませんでした)。
朝10時過ぎから会員さんが来られました。
その多くはゴールド会員さんでした。
朝の修練が終わって、会員さんを見送った後は昼食作りです。
昼食の用意ができたら、院長の部屋のドアをノックして声をかけました。
が・・・、ノックをすると怒られました。
どうも音に敏感になっているようでした。
(このヨガは脳の感覚を高める効果があるものの、それが行き過ぎると過剰反応という現象が起こります)
用意した食事の内容が気に入らなければ食べられませんし、
自分の好物や気に入ったものは食べられました。
とても極端な方でした。
ただ時々、「美味しい」と、とても褒めて貰ったことがきっかけで、冷蔵庫のあまりもので料理を作るのが得意(好き)になりました。
昼食が終わると、また自室に引きこもられました。
私は食事の後片付けをしたら、体力管理をして昼の修練に備えました。
そのような感じで時間が過ぎ、チラシ配りをする時間がなかなかありませんでした。
研修期間中ということもあって、夕方5時には帰らせてもらうことができました。
私は家族がいましたから家から通っていましたが、独身の先生はスタジオで院長と一緒に生活をします。
新入先生がスタジオに入ることを、生活修練と言います。
その反対に、仕事をしながら指導者の活動する人は社会人指導者と言われ、格下に置かれました。
このヨガには序列があるのです。
地域長先生→院長→副院長→オーナー→スタッフ先生→社会人指導者という風に。
私は、仕事を辞めてスタジオ指導者になりました。
当然のことならがら研修期間中は収入はありませんし、交通費も実費でした。
スタジオの院長はスタジオで生活をされていた為、昼食や夕食を作らなくてはいけませんでした(自分もスタッフ先生も食べないといけないので)。
他の直営スタジオでは、院長、副院長、スタッフ先生その他お手伝いの会員さんが、
お金を出し合って賄っていました。
それを言うと、院長から、「私からお金を取るんですか!!!」と怒鳴られました。
また、院長が風邪を引いた時、薬を買ってきて欲しいと頼まれましたが、それも実費でした。
自分の生活もままならないのに、スタジオの院長の食費やもろもろの面倒まで見なければいけませんでした。
後々、このスタジオで同じ院長についたスタッフ先生もまた、私と同じ憂き目に遭っていました。
(この院長は、今は母国に戻られていて日本にはいらっしゃいません)
これが借金地獄の始まりでした。
当時は誰にも相談することができませんでした。
相談するべき人、場所がなかったのです。
それから数年以上たって、ようやく本社に指導者の相談窓口が開設されましたが、遅すぎました。
私は、いつも感じていました。
ここの団体は、計画性がなくいつも行き当たりばったりで、本当に大事なことに気づけずにいると。
研修が始まって、1つ驚いたことがありました。
それは、今まで普通に社会生活で出来ていたことが、出来なくなっていたということです。
何が出来なくなったかというと、電話を取ることが出来なくなっていました。
何をしゃべっていいのかわからなくなっていました。
激しい緊張と恐怖を感じていました。
あと、直営スタジオは本社から広告費の支給があるため、チラシはたくさんありました。。
階段ホールは倉庫のようになっていて、配り切れなかったチラシが山積みになっていました。
夏だというのに、季節はずれの2月のチラシを配らされました。
新しいチラシがそこにあるというのに・・・。
そして、こちらの院長はチラシを配るということはされませんでした。
当時は、新しく指導者になった人、または副院長が新入担当となって、新入会員を入れる活動の全てをしなくてはいけない時代でした。
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最終更新日 : 2023-03-12