5/30~5/31、三門修練に参加しました。
元々は参加する予定ではなかったのです。
3月のイ天化(チョンファ)瞑想旅行)の後、韓国の地域長先生はこう言われました。
「(真我を発見し)第4チャクラにある魂が、第6チャクラにある『神性』と出会った時、
そこにスピリチュアルベイビーが生まれます。
このスピリチュアルベイビーをこれから育てていかなくてはいけませんが、
この子には、名前がありません。
この子の名前をつけてあげる必要があります。
その名前を 『丹号(タンホウ)』と言います」と。
丹号トレーニングは6月末にありました。
私は自分の魂の名前を貰いたくて、(入会したスタジオの)院長先生に「丹号修練に行きたいです」と言いました。
そうしたら、丹号修練は三門修練とセットになっていると言われたので、三門修練に行くことにしたのでした。
************************************************************
会場の名前は忘れましたが、とても広く、参加者は150名を超えていたと思います。
15人ぐらいで1つのグループを作りました。
その中に、Uスタジオの会員さんがいて、「院長先生が特別トレーニングを勧めて来る(指導者)ので嫌だ」と悩みを打ち明けられました。
それで、プログラム名の『三門』とは、『分離の門』『悟りの門』『創造の門』の3つの門のことを言います。
それぞれの『門』の体験をするのですが、本番より前のプロローグである『タイタニック・ゲーム』があまりにも衝撃が大きすぎて、本番のトレーニングが小さく感じられました。
『タイタニック・ゲーム』は、疑似的に生命の危機を体験するゲームです。
そのゲームの中で、自分が自分の生命に対してどんな考え方をしているかが浮き彫りになります。
最後は2人1組になって、「何故、自分が助からなければいけないのか、生きなくてはいけないのか」を相手に説得して、どちらかが降参する(=私が死にますと言う)まで、説得を続けます。
普通に考えれば、「私は幸せになりたいの」と言う人と、「自分にはこうゆう夢があって、それで人々を助けるんだ!」という2人の言葉を聞いて、どちらが生き残るべきだと思うでしょうか。
もちろん後者ですよね。
初めは考えの自分が出て来て、人の為なら死んでも良いと思っていたのが、実はそうではなかった。
人の生命はどこまでも、何としてでも生きようとする。
生きること、それが命の本質だと知った痛烈な体験でした。
この修練は、これまでの修練とは別格のようでした。
このヨガのトレーニングの創始者は、ヨガの世界の中では師匠の意味で 『ススンニム』と呼ぶように言われました。
この修練によって、会員さんをススンニムの弟子になると選択させる、そういう意図のある修練だったのでした。
後々、三門修練も丹号修練もされなくなりました。
今は、どうでしょうか・・・。
そして次回は、いよいよ指導者教育(韓国)の話になります。
元々は参加する予定ではなかったのです。
3月のイ天化(チョンファ)瞑想旅行)の後、韓国の地域長先生はこう言われました。
「(真我を発見し)第4チャクラにある魂が、第6チャクラにある『神性』と出会った時、
そこにスピリチュアルベイビーが生まれます。
このスピリチュアルベイビーをこれから育てていかなくてはいけませんが、
この子には、名前がありません。
この子の名前をつけてあげる必要があります。
その名前を 『丹号(タンホウ)』と言います」と。
丹号トレーニングは6月末にありました。
私は自分の魂の名前を貰いたくて、(入会したスタジオの)院長先生に「丹号修練に行きたいです」と言いました。
そうしたら、丹号修練は三門修練とセットになっていると言われたので、三門修練に行くことにしたのでした。
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会場の名前は忘れましたが、とても広く、参加者は150名を超えていたと思います。
15人ぐらいで1つのグループを作りました。
その中に、Uスタジオの会員さんがいて、「院長先生が特別トレーニングを勧めて来る(指導者)ので嫌だ」と悩みを打ち明けられました。
それで、プログラム名の『三門』とは、『分離の門』『悟りの門』『創造の門』の3つの門のことを言います。
それぞれの『門』の体験をするのですが、本番より前のプロローグである『タイタニック・ゲーム』があまりにも衝撃が大きすぎて、本番のトレーニングが小さく感じられました。
『タイタニック・ゲーム』は、疑似的に生命の危機を体験するゲームです。
そのゲームの中で、自分が自分の生命に対してどんな考え方をしているかが浮き彫りになります。
最後は2人1組になって、「何故、自分が助からなければいけないのか、生きなくてはいけないのか」を相手に説得して、どちらかが降参する(=私が死にますと言う)まで、説得を続けます。
普通に考えれば、「私は幸せになりたいの」と言う人と、「自分にはこうゆう夢があって、それで人々を助けるんだ!」という2人の言葉を聞いて、どちらが生き残るべきだと思うでしょうか。
もちろん後者ですよね。
初めは考えの自分が出て来て、人の為なら死んでも良いと思っていたのが、実はそうではなかった。
人の生命はどこまでも、何としてでも生きようとする。
生きること、それが命の本質だと知った痛烈な体験でした。
この修練は、これまでの修練とは別格のようでした。
このヨガのトレーニングの創始者は、ヨガの世界の中では師匠の意味で 『ススンニム』と呼ぶように言われました。
この修練によって、会員さんをススンニムの弟子になると選択させる、そういう意図のある修練だったのでした。
後々、三門修練も丹号修練もされなくなりました。
今は、どうでしょうか・・・。
そして次回は、いよいよ指導者教育(韓国)の話になります。
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最終更新日 : 2023-03-04