2007年6月30日、私は気功界を去りました。
その後、約2年間は1人で細々と練功を続けていました。
気功界を去った理由はいくつかあります。
身体的偏差を克服する際にお世話になったT先生ですが、気功界では日本で3本指に入る方だと思っています。
新しい功法も1度見ただけで、すぐそれをマスターできたと言われた方で、中国の先生からも一目置かれていた方でした。
中国からも御呼びがかかるほどの先生でした。
その先生が、「自分の観念とまだ向き合えない」とおっしゃったことが1つ。
先生が観念と向き合えないなら、私たち気功学生は・・・・?
月1回練功会を主催していたS先生は、中国の王老師から心の原理を学び、それを会員さんたちに教えていました。
S先生は私にこう言いました。
「人間最後は情を越えなくてはいけないと言われています」と。
それで、私は聞きました。
「それはどういう意味ですか?」と。
返ってきた答えは・・・。
「わかりません。だってまだ体験したことがないんだから」
その時、怒りをおぼえました。
自分がわからないことを、さも知っているかのように教えていることに対して。
生きた分かち合いこそが、人を変えることができるのに。
この先生から心の原理を学んでも、その意味はわからないままだろうと思いました。
これがもう1つの理由でした。
最後、もう1つの理由がありますが、それは気功界の黒い歴史に触れることになりますので書くのはやめておこうと思います。
さて、S先生が自分に体験のないことをさも知っているかのように話をされたことで、私は、その怒りのエネルギーで統合しました(意志を発動させました)。
「その意味が絶対わかるようになってやる!」と。
意志を発動させることは、それが本当にそうなるというパラレルワールドを選ぶことなんです。
今、ヨガ時代を経て、まだプロセスの途中ですが、その意味がわかる日、
死ぬまでの間に、情を越えるという体験があり、それができる自分になるということを知っています。
町中の小さな気功教室で、健康目的で気功をされる方もいらっしゃれば、
私のように、「あの動きにはどんな意味があるのだろう?」と、功法の背景にある理論を学ぶために世界を広げる方もいらっしゃると思います。
いつも通っている気功教室は、先生に守られている小さなお城でした。
だから、教えてもらう以上のことは何も入ってこない。それは1つの安心でもあると思います。
気功の世界を広げると、気功愛好家の先生たちとの出会いがあり、さまざまな体験が待っています。
それらを通して結局、気功って何だったんだろうと振り返ってみると、
やはり修行だったと思うのです。
そして数年後、さらに激しい修行が私を待っていました。
《ヨガ編につづく》
おススメ本紹介コーナー
気功時代よく読んだ名著です。
気功―その思想と実践 単行本
その後、約2年間は1人で細々と練功を続けていました。
気功界を去った理由はいくつかあります。
身体的偏差を克服する際にお世話になったT先生ですが、気功界では日本で3本指に入る方だと思っています。
新しい功法も1度見ただけで、すぐそれをマスターできたと言われた方で、中国の先生からも一目置かれていた方でした。
中国からも御呼びがかかるほどの先生でした。
その先生が、「自分の観念とまだ向き合えない」とおっしゃったことが1つ。
先生が観念と向き合えないなら、私たち気功学生は・・・・?
月1回練功会を主催していたS先生は、中国の王老師から心の原理を学び、それを会員さんたちに教えていました。
S先生は私にこう言いました。
「人間最後は情を越えなくてはいけないと言われています」と。
それで、私は聞きました。
「それはどういう意味ですか?」と。
返ってきた答えは・・・。
「わかりません。だってまだ体験したことがないんだから」
その時、怒りをおぼえました。
自分がわからないことを、さも知っているかのように教えていることに対して。
生きた分かち合いこそが、人を変えることができるのに。
この先生から心の原理を学んでも、その意味はわからないままだろうと思いました。
これがもう1つの理由でした。
最後、もう1つの理由がありますが、それは気功界の黒い歴史に触れることになりますので書くのはやめておこうと思います。
さて、S先生が自分に体験のないことをさも知っているかのように話をされたことで、私は、その怒りのエネルギーで統合しました(意志を発動させました)。
「その意味が絶対わかるようになってやる!」と。
意志を発動させることは、それが本当にそうなるというパラレルワールドを選ぶことなんです。
今、ヨガ時代を経て、まだプロセスの途中ですが、その意味がわかる日、
死ぬまでの間に、情を越えるという体験があり、それができる自分になるということを知っています。
町中の小さな気功教室で、健康目的で気功をされる方もいらっしゃれば、
私のように、「あの動きにはどんな意味があるのだろう?」と、功法の背景にある理論を学ぶために世界を広げる方もいらっしゃると思います。
いつも通っている気功教室は、先生に守られている小さなお城でした。
だから、教えてもらう以上のことは何も入ってこない。それは1つの安心でもあると思います。
気功の世界を広げると、気功愛好家の先生たちとの出会いがあり、さまざまな体験が待っています。
それらを通して結局、気功って何だったんだろうと振り返ってみると、
やはり修行だったと思うのです。
そして数年後、さらに激しい修行が私を待っていました。
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気功―その思想と実践 単行本
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最終更新日 : 2023-01-23