気功時代、いつも通っていた気功教室の先生や、月1回参加していた練功会のS先生でさえ、ヒーリングという言葉は使っていませんでした。
恐らくヒーリングが何なのか知らないから・・・というのが理由ではなかったのかと思っています。
『てあて』とか『体を触る』とか、そのように言われていました。
私が習ったことのある『てあて』は、野口整体の愉気法です。
今、愉気法を習っておいて良かったと思う点が1つあります。
それは、観察者の意識について学ぶことができたという点です。
量子物理学の世界の捉え方の基本をここで学ぶことができたのです。
愉気法は『てあて』ですから、クライアントさんの体に手を当てて体を整えていくことをしていきます。
その時、愉気をしている自分=観察者が、
「あ、ここがおかしい」
と思ってしまうと、本当におかしくなってしまうのだと教わりました。
そのおかしいと感じるところを、どう見るのか。
「新しい変化が生まれるところ」
そういう風に見るようにと。
気功時代、私もヒーリングが何なのか知りませんでしたし、出来ませんでした。
後にヨガの世界に入ってからは、ヒーリングが日常の中に入ってきました。
その時、この考え方(見方)を教えて貰っていて良かったと思いました。
気功の世界では、合宿などで人の体に触ることは禁じられていました。
それは何でも突然、人を癒す力が出てくることがあるのだそうです。
その時、その人は癒しの力がついたと思って、人を癒し続けるのだと。
でもそれは、その人の力ではなくて、何者かがその人に取り憑いて、
その人をさんざん利用した挙句、離れる時にその人の大事なものを全て奪って行ってしまうという話でした。
恐ろしい話です。
そのような話をしたS先生は、自分のお姉さんに会うと、お姉さんの体を触っていました。
「だって、手が勝手に動くから」というのが、その理由のようでした。
「手が勝手に動く」
ヨガでヒーリングが出来るようになった時から、その人に必要なところに手が勝手に動くようになりました。
自分の手がその人の体から離れない時は、まだまだヒーリングが必要だということです。
もう十分ヒーリングされた時、手が体からスゥっと自然に離れます。
これがヒーリング終了の合図です。
新しい意識の石 ―石とともにヒーリングし、覚醒し、共同創造する! ― 単行本
恐らくヒーリングが何なのか知らないから・・・というのが理由ではなかったのかと思っています。
『てあて』とか『体を触る』とか、そのように言われていました。
私が習ったことのある『てあて』は、野口整体の愉気法です。
今、愉気法を習っておいて良かったと思う点が1つあります。
それは、観察者の意識について学ぶことができたという点です。
量子物理学の世界の捉え方の基本をここで学ぶことができたのです。
愉気法は『てあて』ですから、クライアントさんの体に手を当てて体を整えていくことをしていきます。
その時、愉気をしている自分=観察者が、
「あ、ここがおかしい」
と思ってしまうと、本当におかしくなってしまうのだと教わりました。
そのおかしいと感じるところを、どう見るのか。
「新しい変化が生まれるところ」
そういう風に見るようにと。
気功時代、私もヒーリングが何なのか知りませんでしたし、出来ませんでした。
後にヨガの世界に入ってからは、ヒーリングが日常の中に入ってきました。
その時、この考え方(見方)を教えて貰っていて良かったと思いました。
気功の世界では、合宿などで人の体に触ることは禁じられていました。
それは何でも突然、人を癒す力が出てくることがあるのだそうです。
その時、その人は癒しの力がついたと思って、人を癒し続けるのだと。
でもそれは、その人の力ではなくて、何者かがその人に取り憑いて、
その人をさんざん利用した挙句、離れる時にその人の大事なものを全て奪って行ってしまうという話でした。
恐ろしい話です。
そのような話をしたS先生は、自分のお姉さんに会うと、お姉さんの体を触っていました。
「だって、手が勝手に動くから」というのが、その理由のようでした。
「手が勝手に動く」
ヨガでヒーリングが出来るようになった時から、その人に必要なところに手が勝手に動くようになりました。
自分の手がその人の体から離れない時は、まだまだヒーリングが必要だということです。
もう十分ヒーリングされた時、手が体からスゥっと自然に離れます。
これがヒーリング終了の合図です。
新しい意識の石 ―石とともにヒーリングし、覚醒し、共同創造する! ― 単行本
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最終更新日 : 2023-01-18