偏差には、身体的偏差と精神的偏差の2つがあると書きました。
例えば、宗教で洗脳された人、マインドコントロールされた人が、
洗脳が解け、コントロールから解放されるのは、とても難しいことだと思われます。
私の場合は、不思議なことに精神的偏差の方が早く治ったのです。
それは、2006年のゴールデンウィークに起こりました。
突然、気の世界に入ってしまったのです。
私は暗い空間に立っていました。
私が立っているところだけ、スポットライトで照らされているかのようでした。
そして、少し離れたところに、尖った尻尾を持つ悪魔が座っていました。
悪魔はこちらを見て、ケケケと笑っています。
しばらくしたら、上の方から声がしました。
「自分を信じられるか」と、その声は言いました。
私は、答えることが出来ませんでした。
何故なら、「信じられない」というのがその答えで、
それを言ってしまうと自分が狂ってしまう・・・と知っていたからです。
私が無言でいると、その声はこう言いました。
「自分がしてきたことは信じられるか」
その時、私はやっとの思いで、「信じられると思う」と言うことができました。
そして・・・次の瞬間、「これから先、私は何を信じたらいいのだろう?」
と思ったその時、私は正気と狂気の狭間にいました。
正気と狂気のギリギリスレスレのところで、私は信じるものを見つけるのに必死でした。
もし見つからなかったら、私は狂ってしまう。
あの悪魔は、私が狂うのを楽しそうに待っていました。
あの悪魔にだけは負けたくありませんでした。
私は、自分の中で信じられそうなものを必死で探しました。
そうしたら、自分は心の功法(性功)も同時にしている気功の団体に出入りして、
理路(りろ=宇宙の真理)を学んでいることに気づきました。
「私には理路がある! 私は理路を信じる!」と、心の中で叫びました。
そうしたら、気の世界が消え、私は正気を取り戻していました。
あの声も、あの悪魔も、全てが私でした。
そして、あの狂うか狂わないかのギリギリスレスレのところで、
狂う方を選ぼうとしていた自分がいました。
それが、あの悪魔でした。
何を信じるのか、これは気功をする人だけの問題ではありません。
私はあの時、自分のことは信じられなくても、宇宙の真理は信じられる。
自分が信じた宇宙の真理は、私の命を助けてくれました。
そして何年もの月日が経った今、私は自分を信じています。
たとえ、私がどんな人間だったとしても、私を信じることができます。
どうしようもない自分だったとしても、その自分を信じることが出来た時、
自分の内側から、自分を助ける力が目覚めることを知っているからです。
次回、精神的偏差(入魔)を完全に克服した日の出来事について書いてみたいと思います。
例えば、宗教で洗脳された人、マインドコントロールされた人が、
洗脳が解け、コントロールから解放されるのは、とても難しいことだと思われます。
私の場合は、不思議なことに精神的偏差の方が早く治ったのです。
それは、2006年のゴールデンウィークに起こりました。
突然、気の世界に入ってしまったのです。
私は暗い空間に立っていました。
私が立っているところだけ、スポットライトで照らされているかのようでした。
そして、少し離れたところに、尖った尻尾を持つ悪魔が座っていました。
悪魔はこちらを見て、ケケケと笑っています。
しばらくしたら、上の方から声がしました。
「自分を信じられるか」と、その声は言いました。
私は、答えることが出来ませんでした。
何故なら、「信じられない」というのがその答えで、
それを言ってしまうと自分が狂ってしまう・・・と知っていたからです。
私が無言でいると、その声はこう言いました。
「自分がしてきたことは信じられるか」
その時、私はやっとの思いで、「信じられると思う」と言うことができました。
そして・・・次の瞬間、「これから先、私は何を信じたらいいのだろう?」
と思ったその時、私は正気と狂気の狭間にいました。
正気と狂気のギリギリスレスレのところで、私は信じるものを見つけるのに必死でした。
もし見つからなかったら、私は狂ってしまう。
あの悪魔は、私が狂うのを楽しそうに待っていました。
あの悪魔にだけは負けたくありませんでした。
私は、自分の中で信じられそうなものを必死で探しました。
そうしたら、自分は心の功法(性功)も同時にしている気功の団体に出入りして、
理路(りろ=宇宙の真理)を学んでいることに気づきました。
「私には理路がある! 私は理路を信じる!」と、心の中で叫びました。
そうしたら、気の世界が消え、私は正気を取り戻していました。
あの声も、あの悪魔も、全てが私でした。
そして、あの狂うか狂わないかのギリギリスレスレのところで、
狂う方を選ぼうとしていた自分がいました。
それが、あの悪魔でした。
何を信じるのか、これは気功をする人だけの問題ではありません。
私はあの時、自分のことは信じられなくても、宇宙の真理は信じられる。
自分が信じた宇宙の真理は、私の命を助けてくれました。
そして何年もの月日が経った今、私は自分を信じています。
たとえ、私がどんな人間だったとしても、私を信じることができます。
どうしようもない自分だったとしても、その自分を信じることが出来た時、
自分の内側から、自分を助ける力が目覚めることを知っているからです。
次回、精神的偏差(入魔)を完全に克服した日の出来事について書いてみたいと思います。
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最終更新日 : 2023-01-04