指導者の催眠誘導によって、体がダレダレにゆるんでしまった私の身体は、交感神経のスイッチが入らなくなっていました。
常に副交感神経が優位の状態で、体も脳もいつも半ば眠っているような感じでした。
ですから、頭はいつも静かで、感情も考えもない状態が続いていました。
そうすると、「わたしは、感情や考えがなくても生きていられる」ことを知り、その状態が心地よいので、その状態でいようとするようになりました。
そんな状態で過ごすことが、どれだけ危険なことか、
自分の身に起きたこと、同じ指導者の指導を受けた人に起きたことをお話したいと思います。
ある人は、調理中に自分の中指の第一関節を包丁で切り落としてしまいました。
ある人は、ご主人を交通事故で亡くしてしまいました。
そして、ここからは私自身の話になりますが、
横断歩道を渡っている時、右折しようとしてきたベンツに轢かれそうになりました。
あと数センチのところで車は止まりましたが、私が、再び横断歩道を渡ろうとした時、車の運転手は何を思ったのか、車を発進させようとしたのです。が、幸い大事には至りませんでした。
その頃は家を建てたばかりの時で、またお祭りに使用する重要文化財(曳山の見送り幕)を家で預かっていました。
私が仕事に出かけている時、隣の家から出火し、炎は屋根を突き抜けたそうです。
ちょうど家の斜め前は料理屋さんで、そこで食事をしていたお客さんたちがバケツリレーをして火を消してくださったという話を聞きました。そのおかげで、うちの家まで炎が飛び散るのが防がれたのです。
その時は、コンビニでアルバイトをしていました。
夕方5時から夜の10時までの仕事でしたが、ある日の夜、お店に男女合わせて6~7人の若者が入ってきて、いわゆる強盗に遭いました。通常、強盗というのは1人で顔が見えないような服装で「金を出せ!」と脅してくるところ、彼らは「数」という武器を使って、タバコを渡せと要求してきました。
強盗に遭って、精神的に参っているところに、勤め先のコンビニに店長からセクハラ電話がかかってきました。
そして極めつけが・・・。
4泊5日の気功合宿に行って帰ってきた後、私の偏差は悪化していました。
前頭葉が働かず、一日中ボーっとした状態で過ごしていました。
そして10日が経ったある日、夜中3時に電話がかかってきました。
何でも、舅さんが頭を打って道端に倒れているのを発見され、今しがた救急車で運ばれたというのです。
舅さんは、額と後頭部から血が出ていました。
脳の中に血がたまっている状態で手術もできず、ICUに入れられ絶対安静で過ごすしかないと言われました。
怪我の状態が良くなり、意識が戻った時には認知症になっていて、人の顔の見わけもつかず、言葉も話せなくなっていました。
これ以上、回復の見込みがなくなった時、精神科病棟を持つ病院に転院して1年半になる頃に、肺炎で亡くなりました。
こういう衝撃なことは、自分の偏差が原因だと思っていました。
当時の私は、無意識がだだ漏れだったのです。
それによって、引き起こされたと感じていました。
私が気功を習っていた7年間、愛猫が私を守ってくれていました。
彼女は、この世とあの世の狭間に立って、門番をしてくれていたのです。
その時の彼女の体は、静電気を帯びていました。
自分が偏差にかかっていると、同じように偏差にかかっている人がわかりました。
N先生に出会った時、私はこう言いました。
「先生、大丈夫ですか? 首から下が棺桶に入っていますけれど」
N先生は、
「そうなの、大丈夫じゃないのよ」
と言われました。こんなあいさつってあるでしょうか。
実際には、首から下に棺桶が見えたのではなく、身体が半物質化になっているのが見えたのでした。
常に副交感神経が優位の状態で、体も脳もいつも半ば眠っているような感じでした。
ですから、頭はいつも静かで、感情も考えもない状態が続いていました。
そうすると、「わたしは、感情や考えがなくても生きていられる」ことを知り、その状態が心地よいので、その状態でいようとするようになりました。
そんな状態で過ごすことが、どれだけ危険なことか、
自分の身に起きたこと、同じ指導者の指導を受けた人に起きたことをお話したいと思います。
ある人は、調理中に自分の中指の第一関節を包丁で切り落としてしまいました。
ある人は、ご主人を交通事故で亡くしてしまいました。
そして、ここからは私自身の話になりますが、
横断歩道を渡っている時、右折しようとしてきたベンツに轢かれそうになりました。
あと数センチのところで車は止まりましたが、私が、再び横断歩道を渡ろうとした時、車の運転手は何を思ったのか、車を発進させようとしたのです。が、幸い大事には至りませんでした。
その頃は家を建てたばかりの時で、またお祭りに使用する重要文化財(曳山の見送り幕)を家で預かっていました。
私が仕事に出かけている時、隣の家から出火し、炎は屋根を突き抜けたそうです。
ちょうど家の斜め前は料理屋さんで、そこで食事をしていたお客さんたちがバケツリレーをして火を消してくださったという話を聞きました。そのおかげで、うちの家まで炎が飛び散るのが防がれたのです。
その時は、コンビニでアルバイトをしていました。
夕方5時から夜の10時までの仕事でしたが、ある日の夜、お店に男女合わせて6~7人の若者が入ってきて、いわゆる強盗に遭いました。通常、強盗というのは1人で顔が見えないような服装で「金を出せ!」と脅してくるところ、彼らは「数」という武器を使って、タバコを渡せと要求してきました。
強盗に遭って、精神的に参っているところに、勤め先のコンビニに店長からセクハラ電話がかかってきました。
そして極めつけが・・・。
4泊5日の気功合宿に行って帰ってきた後、私の偏差は悪化していました。
前頭葉が働かず、一日中ボーっとした状態で過ごしていました。
そして10日が経ったある日、夜中3時に電話がかかってきました。
何でも、舅さんが頭を打って道端に倒れているのを発見され、今しがた救急車で運ばれたというのです。
舅さんは、額と後頭部から血が出ていました。
脳の中に血がたまっている状態で手術もできず、ICUに入れられ絶対安静で過ごすしかないと言われました。
怪我の状態が良くなり、意識が戻った時には認知症になっていて、人の顔の見わけもつかず、言葉も話せなくなっていました。
これ以上、回復の見込みがなくなった時、精神科病棟を持つ病院に転院して1年半になる頃に、肺炎で亡くなりました。
こういう衝撃なことは、自分の偏差が原因だと思っていました。
当時の私は、無意識がだだ漏れだったのです。
それによって、引き起こされたと感じていました。
私が気功を習っていた7年間、愛猫が私を守ってくれていました。
彼女は、この世とあの世の狭間に立って、門番をしてくれていたのです。
その時の彼女の体は、静電気を帯びていました。
自分が偏差にかかっていると、同じように偏差にかかっている人がわかりました。
N先生に出会った時、私はこう言いました。
「先生、大丈夫ですか? 首から下が棺桶に入っていますけれど」
N先生は、
「そうなの、大丈夫じゃないのよ」
と言われました。こんなあいさつってあるでしょうか。
実際には、首から下に棺桶が見えたのではなく、身体が半物質化になっているのが見えたのでした。
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最終更新日 : 2022-12-25