気功やヨガの世界の住人であった時、私は片足を現実世界に、もう一方の片足を別の世界(気の世界)に突っ込んでいたのではないかと、今、振り返ってそう思います。
2つの世界を同時に生きてきたような気がするのです。
今日は、気功時代に体験した、気の世界についての話を書いてみたいと思います。
1つ目は、2003年の秋、気功を始めてようやく1年が経つ頃でした。
歴史博物館で開催されていた仏像展に行った時のことです。
その部屋に入った途端、現実と気の世界が重なった空間に入っていました。
私は端から順番に展示されている仏像を観て行きました。
すると・・・、私の身体に変化が起こりました。
胸が・・・魂が震え、目の前の仏像が今にも動き出そうとしているように観えました。
仏像に宿るエネルギーを初めて感じた(観じた)日でした。
練功歴1年ではまだ十分な体が出来ていなく、仏像のエネルギーを感じるたびに
心が大きく感動し、エネルギーを使い果たしてしまってへとへとになりました。
へとへとの状態になりながら、中央に輝く仏像の方に自然に足が動いていました。
その仏像は、守り本尊の普賢菩薩さまでした。
ふとその前に立つと、不思議な感覚を体験しました。
胸に温かいエネルギーが入ってきて、まるで癒されているような感じでした。
試しに、その場所から一歩はずれると、その感覚はなくなり、
また先ほどの場所に戻ると、再び、胸のチャクラに温かいエネルギーがどんどん入ってきて、体中を満たしてくれました。
普通、中丹田(胸のチャクラ)が開く時は、浄化が必要なのですが、
気功の世界には胸(感情)の浄化という方法はありませんでした。
ただ、たまさか無欲の状態になれた時に、このような気の体験をすることができました。
そして・・・もし、仏像の生きたエネルギーを感じられるとしたら、それは人が少ない時です。
人が多いと波動干渉を受け、仏像の純粋なエネルギーを感じ取ることが出来ないのです。
2つ目の体験は、書道の作品展に行った時に起こりました。
同じ気功教室に通う Kさんが書道を習っていて、是非、見に行って欲しいとお願いされたことがきっかけでした。
コの字型の空間に、ところ狭しと作品が並んでいました。
その空間に入った瞬間、仏像展の時と同じように胸(魂)が大きく震え、
気の世界に入っていました。
絵画や書道は、気の缶詰だと教わっていました。
絵画は自然と画家の気の交流の記録、書道も文字と書道家の気の交流の記録。
私はその気の世界に圧倒されていました。
気の世界に入ると、全てのものに生命が宿っているのが感じられ(観じられ)るのでした。
2つの世界を同時に生きてきたような気がするのです。
今日は、気功時代に体験した、気の世界についての話を書いてみたいと思います。
1つ目は、2003年の秋、気功を始めてようやく1年が経つ頃でした。
歴史博物館で開催されていた仏像展に行った時のことです。
その部屋に入った途端、現実と気の世界が重なった空間に入っていました。
私は端から順番に展示されている仏像を観て行きました。
すると・・・、私の身体に変化が起こりました。
胸が・・・魂が震え、目の前の仏像が今にも動き出そうとしているように観えました。
仏像に宿るエネルギーを初めて感じた(観じた)日でした。
練功歴1年ではまだ十分な体が出来ていなく、仏像のエネルギーを感じるたびに
心が大きく感動し、エネルギーを使い果たしてしまってへとへとになりました。
へとへとの状態になりながら、中央に輝く仏像の方に自然に足が動いていました。
その仏像は、守り本尊の普賢菩薩さまでした。
ふとその前に立つと、不思議な感覚を体験しました。
胸に温かいエネルギーが入ってきて、まるで癒されているような感じでした。
試しに、その場所から一歩はずれると、その感覚はなくなり、
また先ほどの場所に戻ると、再び、胸のチャクラに温かいエネルギーがどんどん入ってきて、体中を満たしてくれました。
普通、中丹田(胸のチャクラ)が開く時は、浄化が必要なのですが、
気功の世界には胸(感情)の浄化という方法はありませんでした。
ただ、たまさか無欲の状態になれた時に、このような気の体験をすることができました。
そして・・・もし、仏像の生きたエネルギーを感じられるとしたら、それは人が少ない時です。
人が多いと波動干渉を受け、仏像の純粋なエネルギーを感じ取ることが出来ないのです。
2つ目の体験は、書道の作品展に行った時に起こりました。
同じ気功教室に通う Kさんが書道を習っていて、是非、見に行って欲しいとお願いされたことがきっかけでした。
コの字型の空間に、ところ狭しと作品が並んでいました。
その空間に入った瞬間、仏像展の時と同じように胸(魂)が大きく震え、
気の世界に入っていました。
絵画や書道は、気の缶詰だと教わっていました。
絵画は自然と画家の気の交流の記録、書道も文字と書道家の気の交流の記録。
私はその気の世界に圧倒されていました。
気の世界に入ると、全てのものに生命が宿っているのが感じられ(観じられ)るのでした。
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最終更新日 : 2022-12-04