『 ヨロイ 』 は、社会的身体と呼ばれます。
私たちが現実社会で生きていく上で必要な緊張体系と言っても良いでしょうか。
また、体は自分を守るために筋肉を緊張させます。
これは生命の働きですが、ヨロイはこの生命の防衛反応とも言えます。
例えば、自分が気功の先生だったとしたら、会員さんの前では、気功の先生らしく振舞わなくてはいけません。
普通の人であってはいけないわけです。
居酒屋で働いているのであれば、居酒屋の店員さんとしてお客さんに接する必要がありますね。
お客さんと同じように接していたら問題になります。
このように社会で 「~らしく振舞う」 ことが出来るのは、身につけた社会的身体 『 ヨロイ 』 があるおかげです。
ヨロイは自我と同一視されることもあります。
気功は、このヨロイを脱ぐ練習をします。
自我を淡くする練習とも言います。
練功をはじめる時、最初は体をゆっくりていねいにほぐしていきます。
体がほぐれてくると、心の緊張もほぐれてきます。
呼吸も浅い呼吸から、静かで落ち着いた呼吸に変化していきます。
そうして体がゆるんでいく過程で、心と体の位相が変わり、気の世界に入っていきます。
この心と体の位相が変わっていく時が、ヨロイを脱いでいる時なのです。
今、脱げるだけのヨロイをいったん全部はずすことが出来るのです。
また、気功は薄絹一枚ずつ自我を淡くしていく練習とも言われます。
どちらにしても、気功の練習をしている時間は、ヨロイが脱げ、自我が淡くなっています。
「私」 という自我が淡くなるので、そこで一緒に練習している人たちと一体感を感じることがあります。
みなの呼吸が1つになり、エネルギーも1つになって動くので、
一人で練功している時とは違う、深い体験ができます。
その体験は、まるで非日常の体験であり、非日常の心地よさを味わってしまうと、
「また、気功がしたい」
「また、合宿に行きたい」
と、気功中毒とも言える状態になってしまいます。
これが偏差の原因につながっていくのですが、
非日常体験は、ヨロイを脱いで過ごせる体験であり、またその状態が心と体にとっては心地良く感じ、
日常社会の中でも、その状態でいようとしてしまうのです。
これが、身体的偏差と呼ばれるものです。
気功の時間が終わって日常に戻る時、いったん脱いだヨロイを着なくてはいけません。
ヨロイは、社会の中で自分を守るための緊張体系であるからです。
危険から自分の身を守る役目をしてくれるのが、ヨロイ(自我)でもあります。
ただ、練功中にいったん脱いだヨロイは、次、着る時には少し薄くなっています。
違う表現をすると、自我が淡くなっていると言えます。
なので、気功はヨロイの再構築であると言われます。
そして、気功の練習を通してヨロイを脱いだり着たりを繰り返すと、
ヨロイのワードロープを持って、さまざまヨロイを取っかえひっかえ出来るようになると教わりました。
私たちが現実社会で生きていく上で必要な緊張体系と言っても良いでしょうか。
また、体は自分を守るために筋肉を緊張させます。
これは生命の働きですが、ヨロイはこの生命の防衛反応とも言えます。
例えば、自分が気功の先生だったとしたら、会員さんの前では、気功の先生らしく振舞わなくてはいけません。
普通の人であってはいけないわけです。
居酒屋で働いているのであれば、居酒屋の店員さんとしてお客さんに接する必要がありますね。
お客さんと同じように接していたら問題になります。
このように社会で 「~らしく振舞う」 ことが出来るのは、身につけた社会的身体 『 ヨロイ 』 があるおかげです。
ヨロイは自我と同一視されることもあります。
気功は、このヨロイを脱ぐ練習をします。
自我を淡くする練習とも言います。
練功をはじめる時、最初は体をゆっくりていねいにほぐしていきます。
体がほぐれてくると、心の緊張もほぐれてきます。
呼吸も浅い呼吸から、静かで落ち着いた呼吸に変化していきます。
そうして体がゆるんでいく過程で、心と体の位相が変わり、気の世界に入っていきます。
この心と体の位相が変わっていく時が、ヨロイを脱いでいる時なのです。
今、脱げるだけのヨロイをいったん全部はずすことが出来るのです。
また、気功は薄絹一枚ずつ自我を淡くしていく練習とも言われます。
どちらにしても、気功の練習をしている時間は、ヨロイが脱げ、自我が淡くなっています。
「私」 という自我が淡くなるので、そこで一緒に練習している人たちと一体感を感じることがあります。
みなの呼吸が1つになり、エネルギーも1つになって動くので、
一人で練功している時とは違う、深い体験ができます。
その体験は、まるで非日常の体験であり、非日常の心地よさを味わってしまうと、
「また、気功がしたい」
「また、合宿に行きたい」
と、気功中毒とも言える状態になってしまいます。
これが偏差の原因につながっていくのですが、
非日常体験は、ヨロイを脱いで過ごせる体験であり、またその状態が心と体にとっては心地良く感じ、
日常社会の中でも、その状態でいようとしてしまうのです。
これが、身体的偏差と呼ばれるものです。
気功の時間が終わって日常に戻る時、いったん脱いだヨロイを着なくてはいけません。
ヨロイは、社会の中で自分を守るための緊張体系であるからです。
危険から自分の身を守る役目をしてくれるのが、ヨロイ(自我)でもあります。
ただ、練功中にいったん脱いだヨロイは、次、着る時には少し薄くなっています。
違う表現をすると、自我が淡くなっていると言えます。
なので、気功はヨロイの再構築であると言われます。
そして、気功の練習を通してヨロイを脱いだり着たりを繰り返すと、
ヨロイのワードロープを持って、さまざまヨロイを取っかえひっかえ出来るようになると教わりました。
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最終更新日 : 2022-11-29