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    『 風の時代を生きる 』

    ~ 気功の偏差について、イルチブレインヨガの体験記、その後 ~

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    2023-07-20 (Thu) 03:05

    無我体験をしてもエゴがなくならなかったのはどうしてか

    『無我』とは、『私が無い状態』ですから、自分から「ああしたい、こうしたい」というのがない状態のことです。

    気功時代は、無我体験が全くなかったわけではありません。
    何故なら、偏差にかかって、日常の中で非日常の状態で生きている時は、
    頭(意識)が働かず、ボーっとしているので、『我』がない体験をしました。

    ヨガの指導者時代は、師匠(ススンニム)のビジョンに集中することで、皆、無我になろうとしていました。
    しかしそこには大きな葛藤があり・・・葛藤があったのは私だけではなく大多数の指導者が苦しんだと思います。
    結論から申し上げると、無我にはなかなかなれなかった。
    なっていたなら、ビジョンを達成できていただろうと思うからです。

    私が『無我』を体験したのは、社会に戻ってからでした。
    仕事をしている時間は、『無我』状態でした。

    ですが、その一方でエゴが肥大していたことに最近、気づかされました。
    それは衝撃的な気づきでしたが、それを受け入れていくうちに、
    何故、そうなったのかに気づきました。

    仕事を始めるとすぐに『無我』になります。
    しかしそれは、そうせざるを得なかったからで、自分が楽しくてしているわけではなかったこと。
    魂が喜んでいる(感動)が感じられなかったこと。
    そうしてわかったのは、確かに私はその時、『無我』でしたが、
    『エゴ』を押し込めていたことに気づいたのでした。

    だから『エゴ』がなくならなかったのです。
    それは、仕事が終わった時、仕事が休みの時は無我にはならなかったから。
    「ああしたい、こうしたい」とか、「こうあるべきだ」とか心の中はとても騒がしかったのです。

    気功やヨガ時代は、見えない世界(心の世界)の法則や、宇宙の真理(原理)を教わってきましたが、
    私に必要だったのは、それではなくて『霊的法則』こちらのようです。

    エドガーケーシーのリーディングを翻訳されている光田 秀氏の次のインタビュー動画の中で、
    私たちは日常の中で霊性を高める練習方法があることをお話されています。
    見えない世界(動画では“神”という表現をされています)との関わり方、
    交流の方法についても述べられていて、
    私が求めたら、どのように私の人生に関わられるのか・・・興味深い内容となっていました。

    「神」は練習すれば誰でも体験できる:日本エドガーケイシーセンター会長 光田秀 先生へインタビュー④
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    そして、「神の探求Ⅰ、Ⅱ」の2冊を購入して読み込み、実践してみようと思っています。
    パッと開いたページを少し読むだけで、魂に響いてきました。
    これまでの道中(気功とヨガ)は、今日、この日を迎えるための周り道として必要なものだったのかもしれません。








    この2冊はテキストとして書かれたものなので、読み込み実践を通して、自分に現実世界にどんな変化があるのかを確かめて行きたいと思います。



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    最終更新日 : 2023-07-20