『俯瞰して見る』という言葉をよく聞くようになったのは、何時頃からだったでしょうか。
気功の世界では、「体験している私がいて、それを見ている私がいる」
という、『意識の二重化』という言葉が使われていました。
意識が高まるにつれ、二重化ではなく、もっと多重化していくと教わりました。
風の時代に入り、ヨガを離れてからは、必要なものにどんどん吸い寄せられるかのような出来事が続きました。
自分よりかなり年下の若者から素晴らしい教えを教わり、「今の若い人たちは本当にすごいなぁ」と思いました。
少し前の地の時代は、物質世界そのもので、形があり固まっているという特徴がありました。
風の時代の、風は形がないものです。
形あるものが、形ないものに変化していく時、「塊がほぐれ解体(分解)していく」ことが起こります。
今、私はその真っただ中にいるようです。
気功は、形を練習して、形のない世界に入っていきます。
何度も何度も同じ形を練習していくと、次第に自分自身の内気で動き始めるようになり、
その内気の動きは人それぞれ違っていて、同じ功法とは思えないものになります。
いつも通り前置きが長くなりましたが、最近、日常の中で突如として俯瞰している自分に気づくことがあります。
先ほども書いたように、気功では「体験をしている私と、それを見ている私」ということになりますが、これはどういうことなのか具体的に書けるところまで、はっきりとした体験をしました。
例えば、私は映画の登場人物に選ばれたとします。
そして「今」まさに、自分の出番が来て、台本通りのセリフを感情を込めて演技しています。
ここが体験している私です。
私がそのように演技している同時刻に、出来上がった映画のスクリーン上に映し出された私を見ている「私」がいます。
『俯瞰して見る』というのは、「体験している私」と「それを見ている私」が完全に分離していたのです。
「体験している私」も「それを見ている私」もどちらも、「私」なのですが、
どちらがよりはっきりとした意識を持っていたかというと、「見ている私」の方でした。
俯瞰して物事が見えるようになった時、私の意識が変わったことに気づきました。

気功の世界では、「体験している私がいて、それを見ている私がいる」
という、『意識の二重化』という言葉が使われていました。
意識が高まるにつれ、二重化ではなく、もっと多重化していくと教わりました。
風の時代に入り、ヨガを離れてからは、必要なものにどんどん吸い寄せられるかのような出来事が続きました。
自分よりかなり年下の若者から素晴らしい教えを教わり、「今の若い人たちは本当にすごいなぁ」と思いました。
少し前の地の時代は、物質世界そのもので、形があり固まっているという特徴がありました。
風の時代の、風は形がないものです。
形あるものが、形ないものに変化していく時、「塊がほぐれ解体(分解)していく」ことが起こります。
今、私はその真っただ中にいるようです。
気功は、形を練習して、形のない世界に入っていきます。
何度も何度も同じ形を練習していくと、次第に自分自身の内気で動き始めるようになり、
その内気の動きは人それぞれ違っていて、同じ功法とは思えないものになります。
いつも通り前置きが長くなりましたが、最近、日常の中で突如として俯瞰している自分に気づくことがあります。
先ほども書いたように、気功では「体験をしている私と、それを見ている私」ということになりますが、これはどういうことなのか具体的に書けるところまで、はっきりとした体験をしました。
例えば、私は映画の登場人物に選ばれたとします。
そして「今」まさに、自分の出番が来て、台本通りのセリフを感情を込めて演技しています。
ここが体験している私です。
私がそのように演技している同時刻に、出来上がった映画のスクリーン上に映し出された私を見ている「私」がいます。
『俯瞰して見る』というのは、「体験している私」と「それを見ている私」が完全に分離していたのです。
「体験している私」も「それを見ている私」もどちらも、「私」なのですが、
どちらがよりはっきりとした意識を持っていたかというと、「見ている私」の方でした。
俯瞰して物事が見えるようになった時、私の意識が変わったことに気づきました。
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最終更新日 : 2023-05-03