2002年9月4日、初めて気功を体験し即入会した私は、翌年3月には、某NPO法人が主催する気功の講座に参加するようになっていました。
(私の偏差が悪化したのは、こちらに通うようになってからです)
そこは、気功の先生方が来る場所でもありました。気功1年生の私がついていけるのか、とても心配でした。
ここでは、野口整体と気功をミックスしたものを教えていました。
野口整体というと、『 ザ・観察 』という言葉しか出てきません。
もともと、気功は観察力に欠けていると聞いたのですが、そこでの野口整体・・・主なもので『 愉気(ゆき)法 』を学んだり、『 観察の講座 』に参加したことで、観察の基礎が身についたのかもしれません。
その頃は、月1回、講座に参加するようになっていました。
参加した講座の中に、『 観察の講座 』があります。
野口整体の創始者である野口晴哉氏は、「治療とは何もしないことである」という言葉を最後に治療家をやめられたと聞きました。その意味は今でもわかりませんが、ひょっとしたら・・・と思うことがこの講座で起こりました。
観察の講座では、ペアを作り、観察される人と観察する人に分かれました。
観察する人は、相手をありのまま観て、それをメモしていきます。例えば、右の耳が上がっている。左手が長い。右肩が内に入っている等々・・・。
その後、背骨の観察になったのですが、私は背骨はよくわかりませんでした。
それで、どうなったのかというと、観察された方のバランスが良くなっていたのです!
左右の耳の高さも揃い、手の長さも揃い、肩も真っすぐになっていました。
ありのまま観察したら、体が元に戻った(本来の姿に戻った?)。
今、その時のことを振り返り書いていて、気づきました。
私は、医療従事者で一日の外来患者数ー1200人という急性期病院に勤めているのですが、
終業時間になるころには、心も体も精神もくたくたになっています。
エネルギーを使い果たしているので、さまざまな考えや感情に揺さぶられています。
でも、もし・・・日々の現象をありのまま見つめることができれば、
本来、あるべき姿を目にすることが出来るのではないか?
そして気づいたのです。「ありのまま」を見たくない理由に。
起きた出来事に対して、いろいろ意味づけして楽しんでいるということに。
(私の偏差が悪化したのは、こちらに通うようになってからです)
そこは、気功の先生方が来る場所でもありました。気功1年生の私がついていけるのか、とても心配でした。
ここでは、野口整体と気功をミックスしたものを教えていました。
野口整体というと、『 ザ・観察 』という言葉しか出てきません。
もともと、気功は観察力に欠けていると聞いたのですが、そこでの野口整体・・・主なもので『 愉気(ゆき)法 』を学んだり、『 観察の講座 』に参加したことで、観察の基礎が身についたのかもしれません。
その頃は、月1回、講座に参加するようになっていました。
参加した講座の中に、『 観察の講座 』があります。
野口整体の創始者である野口晴哉氏は、「治療とは何もしないことである」という言葉を最後に治療家をやめられたと聞きました。その意味は今でもわかりませんが、ひょっとしたら・・・と思うことがこの講座で起こりました。
観察の講座では、ペアを作り、観察される人と観察する人に分かれました。
観察する人は、相手をありのまま観て、それをメモしていきます。例えば、右の耳が上がっている。左手が長い。右肩が内に入っている等々・・・。
その後、背骨の観察になったのですが、私は背骨はよくわかりませんでした。
それで、どうなったのかというと、観察された方のバランスが良くなっていたのです!
左右の耳の高さも揃い、手の長さも揃い、肩も真っすぐになっていました。
ありのまま観察したら、体が元に戻った(本来の姿に戻った?)。
今、その時のことを振り返り書いていて、気づきました。
私は、医療従事者で一日の外来患者数ー1200人という急性期病院に勤めているのですが、
終業時間になるころには、心も体も精神もくたくたになっています。
エネルギーを使い果たしているので、さまざまな考えや感情に揺さぶられています。
でも、もし・・・日々の現象をありのまま見つめることができれば、
本来、あるべき姿を目にすることが出来るのではないか?
そして気づいたのです。「ありのまま」を見たくない理由に。
起きた出来事に対して、いろいろ意味づけして楽しんでいるということに。
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最終更新日 : 2022-11-19